★ 彷徨うはトマトジュースとヤマトナデシコ ★
<オープニング>

 銀幕の北東に位置する富裕層が主に住まい、自然を活かした都市づくりに名のある女性向けのブティック店が軒を連ねるアップタウン。
 昼間は活気があるが深夜ともなると、仄かな明かりがついた静寂が包み込む。
 その中を一人の少女が帰路についていた。
 銀幕でも名の知れた綺羅星学園の高校生の制服を身につけた少女。部活動か何かで遅くなったようだ。片手にはコンビニで買ったらしい買い物袋が握られている。部活終わりで何も食べてないので、買ったらしい。
「うーん、怖いな。てか、おなかすいたなぁ」
 つい一人で声を出してしまう。
夜ともなると、女の子一人で歩くというのは中々に怖いものがある。
喉の乾きから少女はコンビニ袋からトマトジュースを取り出す。健康に気を使ってトマトジュースを買うようにしているのだ。
トマトジュースを飲みつつ少女は急ぎ足に歩く。
 いくら電灯がついていても、仄かな明かりで、人の出入りが昼間多いとなると静寂はより一層の深みを増す。
 しゅー。
 不意に何かスプレーの音と共に、それまで足元を照らしていた灯りが見えた。
「えっ」
「現代科学ノ、すぷれー、頼りにナリマスル」
「な、なに、声が」
 声は頭上から聞こえてくる。
 驚いて顔をあげる。
「イマしたね、私ノヤマトナデシコ」
「ぎゃあ」
 少女の顔の上にぬっと男の顔が現れた。
ふわりと男が、宙を優雅に泳ぎ少女の前へと立つ。
闇の中でもはっきりとわかる輝くような金色の髪、白くきめ細やかな肌に、海のような青い瞳。整えられた顔立ちは、女であれば思わず見惚れてしまう。黒のマントを身につけているのはなんとも古風さがあるが、それが見事にマッチしている。
地面に着地する男の左手には黒のスプレーが握られている。仄かにスプレー臭ささがたちこめている。
「あっ」
「ワタシのヤマト、ナデシコ」
 じっと男が少女を見つめる。
 いきなりのことに驚くが、このような美形に見つめられることは悪いものではない。それも憂いたる表情ときている。男はまじまじと少女を見つめる。上から下まで、まさにじっと、真剣に。
そして、不意に口を開いた。
「全然ダメね」
「へっ」
「顔ノ化粧けばいヨ。女は、薄くがいいネ。足も太い。胸もちっせーネ。くびれないネ」
 男の容赦のない言葉に少女はあまりのことに唖然、更にはショックに頭にはがーんなどという音すら鳴っているかもしれない。
「ヤマトナデシコにしかトマトジュースは似合わないネ」
 男は持っていたスプレーで少女の顔に×を書くと、すかさず、その手にあるトマトジュースを奪い取った。
「ワタシの理想ノ、ヤマトナデシコとトマトジュースでらぶでーは遠いノデスネ。ああ理想の、ぼん、きゅ、ぼんは、どこデスカ。ああ黒髪の美しいあなたはドコデスカー!」
 あとには、顔にハッテンを書かれた哀れな放心した少女の姿があるはずりだ。



「今回の事件はアップタウンの周りで女性が狙われているようです。それも夜に、いきなりスプレーの音がしたと思うと、黒いマントを着た男が現れるんだそうです。被害者はすべて女性で、顔にスプレーでバッテンをかかれているというものです」
 対策課にいる植村は眉を寄せて、実に困った顔をしていう。
 この機関は、街で起こるムービースター関係の事件を主に処理している。つまりは、事件はムービースターによるらしい。
「こちらの調べたところによると。それはホラーコメディ映画のムービスター「吸血鬼」のようなんです。人の血ではなくトマトジュースを主食にしているようです。あと通常の吸血鬼の弱点はまったく効果がないそうです。昼間は蝙蝠となって動き回っているようです。
 被害者の話を聞く限りだと、トマトジュースを持って深夜歩いているとくるようですが……それも……女性にたいして、かなり手厳しいジャッチをするようです。話を総合すると彼は自分の理想のヤマトナデシコを探しているようです……このままでは、デリケートな女性たちの心を傷つけるばかりです。
 空を飛ぶ以外の特殊なことはしないようですが、スプレーを持っているので、その点には気をつけてください」

種別名シナリオ 管理番号620
クリエイター槙皇旋律(wdpb9025)
クリエイターコメントこんにちは。槙皇旋律です。
なんともいやーな女の敵もいたもんです。
今回は、吸血鬼を倒すお話です。ただし、コメディホラーの吸血鬼なので、なんでもありなので通常の吸血鬼に効果ある攻撃は(十字架、にんにくなど)まったくきかないようです。
彼をおびき出すのは、女性。トマトジュースの組み合わせ。
それも理想のヤマトナデシコは「ぼん、きゅ、ぼん」だとか……。
美しき女性のみなさん、私が吸血鬼を見事にノックアウト! いや、女に危険なことはさせねぇここは俺が女のなりをして……という殿方たちの活躍に期待します。
また、吸血鬼は昼間は蝙蝠になってふらふらしているようです。やはり理想のヤマトナデシコとトマトジュースでそばによってくるかもしれません。

参加者
チヒロ・サギシマ(cnda6839) ムービースター 女 31歳 ロス市警の刑事
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
皇 香月(cxxz9440) ムービーファン 女 17歳 学生
ブラックウッド(cyef3714) ムービースター 男 50歳 吸血鬼の長老格
<ノベル>

 銀幕市で起こったトラブルを扱う対策課からの依頼を受けた四人。
 正確には三人と一匹といったところか――チヒロ・ヤマザキ、太助、ブラックウッド、皇香月の四人である。
「スプレーで女の顔に×印の落書きとは、そこらへんのガキ共のほうがよっぽどセンスがあるな」
 そう言ったのはチヒロ。
 眼鏡をかけた長い黒髪を結っている黒目。アメリカに移住した元日本人だ。すらりと伸びた高身長に必要なところについた肉は、実にセクシーかつ知的な美女。ただし、中身はそこら辺の男よりもよほど男らしい。
「ええ。そうですね」
 チヒロの言葉に応じたのは、彼女の横にいる皇香月。亜麻色の髪は腰まであるのをポニーテールにしている。紫色の眸は釣り目で、一見クールな雰囲気がある。
「けど、どうするんだ」
 と、活発な悪戯っ子な雰囲気のあるタヌキ少年の太助。
「もちろん、捕まえてオトナの教育的指導をみっちり叩き込むのだよ」
 紳士服に身を包み、撫で付けた灰色の髪。金色の目に整った顔立ちは一見は雰囲気のよい紳士のブラックウッドが応じた。
「捕まえるにしても、囮はどうするんだ?」
「もちろん。私だろう」
 そう主張するのはチヒロ。
 この中で、黒髪の「ぼん、きゅ、ぼん」という全ての条件をクリアーしているのは彼女だ。
「俺も変身できるぞ」
 太助が負けじと言う。
 ただ、この中でもう一人の女性である皇香月だけは自分から進んで名乗りをあげない。細身で、亜麻色の髪というところで条件はクリアーしてないといっても、顔立ちは申し分ない。ただ今は表情はひどくかたい。
「まずは、相手がどこに出るかを探ったほうがいいだろう」
 ぷきゅ、ぷきゅ。――ブラックウッドの影から黒い蝙蝠のような生き物が現れた。
 ブラックウッドの使い魔だ。
 ぷきゅ、ぷきゅと鳴いて迷いもなく太助へと飛んでいった――ぷきゅ語訳すると「たすーたいちょー」といっている、らしい。
「つっちー」
 太助がブラックウッドの使い魔と戯れている。
 つっちーとは、太助が使い魔のことをそう呼んでいるのだ。
 突然と可愛らしい存在が現れたのに女性陣の目をひきつけた。
 それまでかたい表情であった香月の頬が、ここでようやく少しばかりだが緩んだ。
「なんだ。この可愛い生き物たちは」
 チヒロが身を乗り出して太助とつっちーを見た。
「つっちーだぜ」
「つっちーなのか」
 チヒロの手が実に触りたいといいたげだ。それも視線は、太助の「魔性のおなか」に向けられている。
「おなかなでてもいいぞ?」
 その口説き文句にチヒロは笑顔で太助の腹を撫でる。ふわふわの毛にチヒロの顔はうっとりとした。
「私もいいかしら?」
「おう」
 香月も顔を綻ばせて、太助のふわふわの毛を撫でた。
「では、それぞれに吸血鬼が出る時間まで仕事をしようか」
 この中で年長のブラックウッドが、ふわふわプリティな生き物たちにメロメロな女性陣たちに笑みを湛えて言った。

 まず、二手に分かれた。
 吸血鬼の聞き込みをする班と夜の下準備をする班だ。聞き込みは太助、つっちー、香月。下準備はチヒロとブラックウッド。
 チヒロとブラックウッドは吸血鬼をおびき寄せるための下準備のためにアップタウンにある名だたるブティックを訪れていた。
 ここで囮のために用いる服や化粧品を買うつもりなのだ。
 女性の客がターゲットなだけあり、流行りのセンスのある服が多いが、その分値も張る。しかし、ブラックウッドは天然セレブ。下準備のためとはいえ値の張る品を買うのに躊躇いがない。
「そ、そんなに買って大丈夫なのか」
「美しい女性にはとても似会うと思うのだがね」
 ブラックウッドの色気に意識が遠くへといきそうになったチヒロ。いや、ここで気絶してはいけないと慌てて思い返す。
 それに、眩暈の原因はブラックウッドの魅力だけではない。
 しょっちゅうギャンブルで大金をすってしまうチヒロとしてはブラックウッドの並外れた金銭感覚に眩暈を覚えた。
「すごい」
 思わずチヒロは呻いた。

 吸血鬼がどこに出るかを探るためにも太助隊長とつっちーに香月がアップタウンの周辺の聞き込みをしていた。
 ぷきゅぷきゅ。
 つっちーは、使い魔として探索に特化した能力がある。それらの能力で野良犬、野良猫にぷきゅと話しかけていく。ぷきゅと言えば、わん、にゃんと返事があり、つっちーはふむふむと頷いて、今度は植物へと聞き込みをしていく。
「おまえ、元気ないけど、どうした?」
 と、太助が浮かない顔の香月に話しかけた。
「えっ。あ……今回の事件、後輩がね、被害にあったの」
 香月は力なく笑った。彼女が、この事件に参加したのは、可愛がっている後輩の仇討ちだ。可愛い後輩のことを考えると胸が痛む。
 女の子の可愛い顔に×印などつけるとは、子供じみているが敏感な年頃の娘にはこれ以上ないほどのダメージを与える行為だ。
「俺たちがぎたぎたんにやっつけて、ブラックウッドに突き出せばいいんだぜ」
 ぷきゅぷきゅとつっちーも可愛く鳴いて香月を励ます。
 太助とつっちーの優しさに復讐に燃えていた香月は、頷いた。
「そうね、落ち込んではいられないわ。……絶対に許さないわ。その準備もしてきたのよ、ちゃんと」
 にっこりと香月は笑った。
 ぞくっ――。
 香月の笑顔の背後に般若が見えた。ような気がする。
 この世には、決して怒らせてはいけない領域があるのだ。そして今回の敵は、その領域に思いっきり片足をつっこんだらしい。
 ぷきゅ、ぷきゅとつっちーが何かしら掴んだのか騒ぎ出した。
「なんか、ここにいたらしいぜ。昼間なのにふらふらしている蝙蝠が」
「それって!」
 香月が拳を握り締めるのに力が入った。

 用意の買い物を終らせたチヒロとブラックウッドと合流すると、香月は早速、手に入れた情報を二人に教えた。
「では、囮は、ここらへんを歩けばいいんだな」
「たぶん」
「では、早速支度をするぞ。あまり時間がない」
「俺もなるぞ。ミニスカとクッキー、買ってきてくれたか?」
「コンビニで買ってきた」
 チヒロがぶっきらぼうに言いながらコンビニの袋を差し出した。中にあるのは天然作りのトマトジュース百パーセントとトマトクッキー。これは、太助がお願いしたものだ。太助も今回は化けて囮をやるつもりだ。そのためにミニスカとトマトクッキーをお願いしていたのだ。
「囮は私一人で十分だというのに」
「囮が多いほうがひっかかるだろう」
 と、太助の主張。
 早速、公園のトイレで美狸ならぬ美少女に変身した。そして買ってきてもらったミニスカート――白のふりふりのついた乙女っぽい服装だ。それに狸の尻尾と耳がチョイスされている。くりっとした目にふんわりとした髪、どこからどうみても可愛らしい女の子。――狸の尻尾と耳がついている。
 その姿のまま男子トイレの個室から出てきた。丁度、トイレにはいった中年のサラリーマンは、トイレから現れた美少女に硬直してしまった。ここは男子トイレだったはず、どうして美少女が――戸惑う中年サラリーマンの横を太助はまったく気にした様子もなく過ぎて出ていった。
「待たせたな。用意が出来たぜ」
 チヒロも、いつもはかけている眼鏡をはずし、メイクもばっちりだ。
 チヒロはトマトジュース。太助はトマトクッキー。
「香月は参加しないのか」
 チヒロが怪訝と尋ねた。この際、囮が二人、三人でもいいだろうと思っているのだ。
「……お二人がいれば十分だと思います。私は、お二人の後ろのほうから敵を待ちます」
 今回は吸血鬼の退治に集中したい香月。
「では、私は蝙蝠になって潜ませてもらおうかね」
 ブラックウッドが蝙蝠の姿になってチヒロの手に提げているコンビニの袋の中へと収まった。

 太陽は完全に姿を消し、紺碧が空を覆い、輝くことで自らを主張する星が空の支配している。
銀幕にも夜は来る。
 昼間の顔とは違う、夜の静寂とほのかな人工物の灯り。
 その中をチヒロと太助――現在は美狸「ひまわり」は並んで歩く。その手にはトマトジュースとクッキー。これでもかっというほどに見せ付けている。しかし、歩くこと十五分ほど、まったく現れない。
「来ないな」
「食べないとだめなんじゃないのか」
「……」
「なぁ」
「私は、トマトジュースが嫌いだ。こんなもの食べ物とは認めん」
「それだと来ないぞ」
 太助に諭されてチヒロは一瞬、美しい眉を顰めたがしぶしぶトマトジュースの箱にストローを挿した。
「太助も食べろよ」
「もちろんだぜ」
 そういって太助は美味しそうにトマトクッキーをほおばる。その姿を見てチヒロはしぶしぶであるが、ストローに口をつけて、飲んだふりだけはした。
 そこから何メートルも離れたところに香月が気配を隠して、じっと待っていた。そして、彼女の嗅覚を刺激する自然のとはまったく異なる匂いがした。
 不意に、今までとは違う風の匂い。
 ぷしゅー。
 電灯がゆっくりと霞んで消えた。
 夜の暗闇。
 ゆらりっと、チヒロの上空から黒いマントが見える。
「トマトジュース、それにクッキーマデアリマスネ、私ノ」
 チヒロがトマトジュースを思いっきり投げた。吸血鬼の顔面に思いっきりあたる。さらにチヒロは拳を握り締めると、鍛え上げた一撃を見舞った。
「ひでぶー」
 吸血鬼がなんとも情けない声と鼻血とトマトジュースをぶっかけられて後ろへと下がった。
「ナンテコトスルンデスカ!」
 頭からトマトジュースをかけられて美形台無し状態で吸血鬼が叫ぶが、それはすぐに悲鳴へと変わった。
 太助が腕に噛み付いてきたのだ。噛まれるならば、先に噛んでしまえの理論だ。
「ぎゃあああ、こすぷれ乙女、ナニシテマンネ! 恥ずかしくないですか!」
 元が狸である太助には、そんなことを気にするつもりはないらしい。
「無粋なことをする者には、それなりの教育が必要のようだな」
 袋の中に隠れていたブラックウッドが蝙蝠の変身を解き、目の前に現れた。優雅かつ玲瓏たる真っ当な吸血鬼。それに対してコメディ吸血鬼は蒼白たる顔になった。雰囲気と質がまったく違う。
「吸血鬼は、この殿方のようなノーブルな者のことだろう」
 チヒロの一言にコメディ吸血鬼は泣きそうな顔をした。
「コメディと正統派を比べないでクダサイ! コメディ、オカネナイネ! 低コスト、ギャグ満載ネ。コメディ嘗めンナヨで、アリンス!」
 情けない悲鳴の上に、どうにも言葉がめちゃくちゃだ。
 コメディは体当たりギャグが一般的なように、この吸血鬼も人並みはずれて無駄にタフではあった。しかし、これでは分が悪すぎる。
「ここは一旦」
 吸血鬼が太助を振りほどくと地面を蹴り、空へと飛ぶ。飛んで逃げるつもりのようだ。
「逃がさないっ!」
 隠れていた香月が飛び出し、隠し持っていたワイヤーを投げた。
 香月の最も得意とする武器は刀だが、今回は空を飛ぶ敵を仕留めるためにワイヤーと鞭を持ってきていたのだ。
 本来の得意とする武器ではないが、家族に鍛えられて高い戦闘能力を持つ彼女の攻撃は、外れることなく、吸血鬼の足を捕らえた。
「な、ワォ!」
 空に浮かんでいたところを思いっきり引きずられてコメディ吸血鬼は悲鳴をあげ、宙に飛びたいのに飛べないという有様だ。
「観念しろっ!」
 後輩の仇を討つ香月は、普段ではありえない荒々しい声で叫び、ワイヤーを力いっぱいに引く。
 このままでは地上に落ちてしまう。
 コメディ吸血鬼は舌打ちと共にその身を蝙蝠へと変えた。小さな蝙蝠にはワイヤーをすり抜け空へと舞う。空へと逃げてしまえば、足しかない彼らでは追えない。
 だが、コメディ吸血鬼の上に何か、黒いものがいた。
 二メトールは余裕であるだろう巨大蝙蝠と化したブラックウッドだ。この美しさと力のシンボルともいうべき相手の前ではコメディ吸血鬼は、ただの蝿のようなもの。その大きな羽が小さな吸血鬼の肉体を叩いた。軽いはばたきだが、それは大きさを考えればすさまじい威力となり、コメディ吸血鬼の蝙蝠を襲った。
 強い力に逆らえず、蝙蝠は地面に叩きつけられた。
 見ると、アスファルトの地面に大の字がくっきりと出来ている。
「ふぅ、死ヌカトオモイマシタ!」
 吸血鬼がむくりと起き上がる。
「ギャグきゃらくたー、爆発死以外では死ナナイ、ソレ、お約束ヨ! 反撃スンゼヨ!」
 吸血鬼がスプレーを取り出した。
「はっ!」
 不意に宙から鋭い何かが投げられた。スプレーにブラックウッドの万年筆だ。それがスプレーに穴を開ける。そのときを香月は逃さなかった。
 香月はその瞬間を逃さなかった。居候させている魔術師から貸してもらった炎と風の精霊をすかさずけしかける。
「いけっ!」
 スプレーの炎が引火し、さらには風が吹き、炎を吸血鬼に向けられる。
「焼ケタラ、ドナイシマッセカ!」
 思わず吸血鬼が慌てて後ろへ逃げると叫んだとき、がっしりと腕が握られた。何かと思う暇はなかった。思ったときには、体は大きく宙を舞って民家の塀に思いっきり投げられた。
「がぁ! いっ……正統派の吸血鬼ナンザ嫌いデッセ! この最高吸血鬼がー!」
「それは残念だ。あと、それは褒め言葉として受け取ろう」
 いつの間にか地上へと戻ってきた人間の姿に戻ったブラックウッドだ。彼は不適な笑みを浮かべた――この男性ならば抱かれたいと吸血鬼は本気で思った隙をつかれて、蹴りが飛ぶ。魅力に囚われていた吸血鬼にはなすすべもない。一方的な電光石火の攻撃の連打。慌てて吸血鬼のほうも拳で防ごうとするが、一撃が早く、重い。
「見事な格の違いだなぁ」
「うんうん」
「けど、あの吸血鬼、そろそろ倒れるんじゃないのか? いくらタフとはいえ」
 ずっとブラックウッドのターン。
 だが、それもラストだ。
 ブラックウッドの上段回し蹴りが放たれる。格闘ゲームさながらの大技。これは容易く骨を打ち砕くだけの威力がある。その一撃に吸血鬼が後ろへと吹っ飛ぶ。
 ブラックウッドは痛みに呻いている吸血鬼の首を片腕で軽々と押さえつけると首に噛みついた。その瞬間、吸血鬼がかすかに震え、崩れた。いくらタフといえども同族に咬みつかれては耐えられなかったらしい。
「うむ、すごいな」
「おおー」
 観客と化しているチヒロと太助が声をあげ、拍手を送る。ブラックウッドは一礼をして観客に応えるサービス精神と礼儀は忘れない。
 完全に伸びた吸血鬼が地面に崩れているのに香月は一応としては怒りは収まったらしく深くため息をついた。
「よし、確保だ」
 香月の持っていたワイヤーで逃げられないように吸血鬼をぐるぐる巻きにしてしまう。
「だが、それ、どうするんだ」
 チヒロが尋ねる。
「ブラックウッドがほこりたかきよるのいちぞくを教えてくれるぞ」
 正統派吸血鬼ブラックウッドに預けてしまえば、大丈夫だろうというのは、この場の一同の考えだ。
「はっ……な、これは、新タナぷれいですか! ハナシテクンダサイ! 蝙蝠ニナッテ」
 香月が笑顔で吸血鬼を睨んだ。そして、無言で足を思いっきり踏んづけた。
「ぎゃあああ!」
 叫んでいる間にブラックウッドにがっしりと思いっきり肩を抱かれて吸血鬼は震えた。
 吸血鬼の本能が言うのだ。逃げろ。これは、すごくやばい。正統派とコメディ。月とすっぽん。高級トロと百円のかっぱ巻き。その差を思いっきり感じる。
 ふっと耳朶に甘い痺れがきた。
「ひゃうっ! ああ、ダメデス、耳は、耳はぁ〜〜」
「君も私と同じ吸血鬼、同胞として今回の件は胸が痛むものだ。君をほうってはおけない……さぁしっかりと反省のためにもオトナの教育指導をしようか」
 あ――落ちる。この人の傍にいたら、落ちてはいけない世界に落ちてしまう。――それでもいいかも。――甘い囁きに魂を口から吐きながら意識を無くした吸血鬼はブラックウッドの腕の中におさまり、彼のオトナの教育指導をしっかりと施されることとなった。

クリエイターコメント今回は、いゃんな敵を退治するのに参加してくださり、ありがとうございました。
コメディの吸血鬼はタフでなんぼです(笑)
たぶん、彼は、これから正統派さまに誇り高い夜の一族のありかたを一から十まで学ぶことでしょう。(笑)
公開日時2008-07-05(土) 10:30
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